朝の霞がまだ町の屋根瓦に淡く降りていた頃、私は目を覚ました。熱い炎の如く、いや、熱すぎてカレーうどんの鍋底のように煮えたぎる赤、我が衣を身に纏い、私はゆるゆると今日の「務め」へと意識を向けた。そう、「必殺技」を考えるという、いささか気障で、それでいて人知れぬ哲学を孕んだ作業である。
人は「ヒーロー」を単なる正義の記号として仰ぎ見る。だが、その影には「何をもって悪を断つか」という厄介な命題がつきまとう。刀か、拳か、あるいは光か。いや、それらの物理的な要素を超えて、「叫び」こそが技に魂を与えるのだという思いに、私は幾度も立ち返るのだった。
午前十時、私は机に向かい、一本の鉛筆を手にした。それはまるで自らの魂を文字に刻むような儀式めいていた。まず思いついたのは――
「紅蓮爆炎斬(ぐれんばくえんざん)」
しかしどうにも語呂が硬い。斬、と言ってしまえば時代劇じみてしまう。次に浮かんだのは、
「フレイム・ストライク・バースト・アタック」
……これは逆に長すぎる。敵に叫んでる間にやられかねない。技の命名とは、詩作にも似たバランスが要る。響きと意味、勢いと余韻。私の中で、芭蕉と爆発がひとつの器に入れられることの難しさを思った。
午後、町の子供たちが「明鹿野レッド、何が一番強い技なの?」と無邪気に訊ねてきた。私は少し笑って、「それは、まだ考えてる途中だ」と答えた。するとひとりの少年が言った。
「じゃあ、『赤い炎のこころパンチ』とかどう?」
その言葉に、私は息をのんだ。なんということだ。これほど素朴で、なおかつ心の奥を突く名があろうか。子どもが放った無垢なる一矢が、私の観念を突き抜けたのである。
夕暮れ、私はノートの最上段にこう書いた。
「赤心烈火拳(せきしんれっかけん)
――怒りではなく、心の奥底に宿る温かさを、拳に込めて放つ技。敵を倒すのではない。迷いを溶かすのだ。」
ああ、ヒーローとはかくも孤独で、そしてかくも詩的な職業である。人の目に映るは赤いマントの虚像なれど、その内に燃ゆる炎は、名もなき日々の中にこそ育まれるのだ。
そう考えながら、私は今日もまた、誰にも気づかれずに夕日の坂を下っていった。私の背には、確かに赤い光が差していた。
――明鹿野レッド「必殺技創案録」より