七月某日、朝靄まだ晴れやらぬ頃、余は明鹿野の小さき保育園の門前に立っていた。真紅の装束を身にまとい、無論それは俗に云うヒーローの扮装である。無様とも滑稽とも見えようが、これが余の「任務」なのである。
周囲にはすでに園児らの笑い声が充ち、母親たちの声も交じって、まるで野の小禽が朝の饗宴を催しているかの如し。されど、余の心は幾分重かった。笑顔で「おはよう」と言うことが、これほどまでに難しいことだったろうか。
「おはようございます!」
声を張る。余の声はまだ、昨日の夢の中に引き摺られていたのか、若干掠れていた。しかし、第一声が突破されれば、後は奇妙なほどに容易である。次から次へと「おはよう」が交わされる。子どもは元気である。無垢な眼差しでこちらを見つめ、「あ、レッドだ!」などと指をさす。その指先に、余は何かしらの救いを見るのだ。
或る子が、余の前で立ち止まった。赤い靴を履いた女の子である。小さき口を一文字に結び、何やら決意を秘めた様子でこちらを見上げていた。ややして、彼女は言った。
「レッド、いつもありがとう。」
この一言が、余の胸を刺した。何が「ありがとう」なのか、余には判然としなかった。ただ、ああ、このような言葉の重みを、我々は忘れているのだと、そんな気がした。日々の挨拶に、感謝が宿ることの不思議。子どもは時に、我々よりも遥かに深き真理を知るのかもしれぬ。
やがて朝は開け、空は青さを取り戻した。余は深く息を吐き、仮面の奥で微笑を浮かべた。今日もまた、平和がここにあった。
――それはたかが挨拶、されど魂の運動である。