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🟥 槻木レンジャー・明鹿野レッドのとある一日

「稲を刈るということ」

 秋の風というものは、どうしてこうも人を沈黙させるのだろう。
 稲穂が一斉に頭を垂れ、まるで「もう十分です」とでも言うように、陽の光を柔らかく返している。
 私はその黄金の海原の中に立ち、鎌を手にして思う――人間の営みとは、実に「刈り取ること」なのではないか、と。

 春に撒いた種を、夏に育て、秋に刈る。
 それは単なる農作業ではなく、人生の縮図にも見える。
 喜びも苦労も、すべてはこの瞬間のためにある。
 だが、稲を刈るたびに、私はいつも少しの罪悪感を覚える。
 なぜなら、彼ら――稲たち――は黙って立ち尽くし、ただ成熟という宿命を全うしただけだからだ。

 鎌の刃先が稲の茎を切る音は、まるで古びた物語の頁をめくるようだ。
 シャッ、シャッというその律動の中に、遠い祖先たちの声が混じる。
 「よくぞここまで育てたな」と。
 その声に、私は胸の奥が熱くなる。

 稲刈りとは、戦いではない。
 むしろ「感謝の儀式」に近い。
 自然と人間が、わずかな期間だけ、同じ呼吸をする瞬間なのだ。

 だから私は、戦隊の任務を終えたあとでも、こうして田に立つ。
 赤いスーツを脱ぎ捨て、土の匂いに包まれながら、
 人間としての原点を取り戻すために。

 ――黄金色の稲穂が揺れるたび、私は思う。
 「この世界は、刈り取られるために育つのではない。
  育つために、誰かが手をかけるのだ」と。

 明鹿野レッド