僕が「川遊び」という行事に心を動かされたのは、午前十時のことであった。太陽が燦然と天に在り、山国の谷あいに微かな風を孕ませたとき、僕は仮面の下に一抹の憂鬱を感じていた。
今日は子どもたちとの交流行事である。場所は山国川。水は清く、底に小石の眠る様など、かの芥川に棲むと伝わる龍も驚かんばかりの透明さだ。僕は変身前の姿――つまり、ただの「青年」としてその場に佇んでいたが、内心では仮面を被るべき時を見計らっていた。
子どもたちは無邪気に網を持ち、鮒を追い、時に転び、時に笑った。その光景は、何とも言えぬ美しさと、同時にどこか哀愁のようなものを含んでいた。まるで彼らの笑い声の裏には、過ぎ去った昭和の夏が、今なお微かに揺れているようだった。
ふと、一人の少年が水辺で泣き出した。どうやら足を滑らせて、網を川に流してしまったらしい。僕は近づいて、少年の肩に手を置いた。
「泣くな。英雄の心は、失くした道具よりも強く在れ」
僕は、そう囁いてから、赤いスーツを纏い、明鹿野レッドへと変身した。川辺にいる母親たちがざわめき、子どもたちは目を見開いた。僕は飛び込む。水しぶきが上がり、夏の太陽がその飛沫に虹を描いた。
やがて僕は網を拾い上げ、少年に手渡した。少年の目に、英雄という幻想の映り込みがあった。それは――彼がやがて大人になるまで、記憶の中に棲む影法師のような存在となるのかもしれない。
だが、その「幻想」の価値を僕は疑わなかった。なぜなら、それが「ヒーロー」としての、僕の存在理由だからだ。
午後三時。すべてが終わったあと、僕はひとり川辺に腰を下ろした。スーツのまま、足を水に浸した。冷たい流れが、僕の足を撫でたとき、ふと思った。
この川も、いずれは海に出る。だが今は、ただここに、透明な時間を湛えている。
そんな「今」に身を浸すこと――それこそが、最も贅沢な川遊びなのかもしれない。