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静かなる訓練、熱き心 2025/8/2

朝方、空は薄く晴れ渡っていた。けれど、その静けさはどこか儚く、まるで何かが来る前の、ほんの束の間の平穏のようであった。私は、いつものように赤い戦闘服――いや、防災服とでも呼ぶべきか――を身にまとい、集会所へと向かう。
今日は「親子防災体験」の日である。

道すがら、ふと考える。人はなぜ、わざわざ“災い”を学ぼうとするのか。
それはたぶん、目には見えぬ「不安」に形を与えたいからだ。火も、水も、地も、天も、牙をむけば我々など容易に呑みこむ。だが、その中にあって人は、自らの小ささを知りつつ、それでも生きようとする。その姿は、どこか健気で、美しくもある。

会場では、親子連れが列をなし、すでに笑い声も上がっていた。だが、私はその賑やかさの裏に、「いざというとき」に備える真剣さを求めたかった。

「みんな、こんにちは!明鹿野レッドだ!」

声を張る。子どもたちの目が、ぱっとこちらを向く。その視線には、好奇心と、ほんの少しの憧れが混ざっていた。私はその小さな憧れに、応えねばならぬと思った。

避難リュックの中身を紹介するとき、私は実際に水を飲んでみせた。保存食も開けて、子どもたちに少しずつ配った。

「これが三日間の命をつなぐんだ。大げさに聞こえるかもしれない。でも、ほんとうなんだ」

子どもたちは無邪気に笑っていたが、保護者の目には何かが残ったように思えた。
私はそれを見て、ようやく一歩だけ、誰かの役に立てた気がした。

続いてのプログラムは、段ボールハウスでの避難体験。煙の中を、頭を下げて進む子どもたちに、私は膝をつき、手を差し伸べた。

「大丈夫。ちゃんと前を見て。暗くても、出口はある」

まるで寓話の一節のような言葉であったが、あの子の手が、私の手をきゅっと握ったその一瞬が、妙に確かだった。

最後に、小さな女の子が言った。

「レッド、こわくなくなったよ。ありがとう」

その言葉が、心のどこかに静かにしみ込んできた。
人は「災害を恐れない」ために訓練をするのではない。恐れることの中に、備えを重ねるために行うのだ。

今日の私は、ほんの一片の知識と、わずかな安心を渡したに過ぎない。
けれどそれが、誰かの“明日”を守る小石となるならば、私はこの赤き服を、誇りとしてまとうだろう。

夕暮れ、会場の片隅にしゃがみこんだ男の子が、段ボールのかけらで「レッドごっこ」を始めていた。
それを遠くから眺めながら、私はそっと、ヘルメットのひさしを下げた。