「過疎」の代替語検討へ、総務省 マイナス印象
過疎地域の支援策を検討する総務省の有識者懇談会は2日の会合で、離島や中山間地など人口減少が進む地域を指す「過疎」に関し、代わりとなる用語を検討する方針で一致した。近年、豊かな自然など都市とは異なる特性に魅力を感じる人が増加傾向にあり、マイナスのイメージがある言葉は実態に合わないと判断した。
2020年3月に支援策の継続を求める提言をまとめ、検討結果も盛り込む見通し。過疎地の支援を定めた議員立法の過疎法が21年3月末で期限切れを迎えるため与野党の改正論議に反映させたい考えだ。
総務省資料によると、過疎という言葉は昭和40年代に一般的に使われるようになった。
本日、こんな記事が出ていましたが
過疎地に住む私にとっては
どうでもいいことですが、過疎の為に頑張ろうとしてくれている
日本のお偉いさん方、ご苦労様です。
過疎地のみなさん!もうどうしようもありません!
自分たちで頑張って下さい!
こう言われた方が、やる気が出るんですがね。
国がどうにかしてくれるのを待っててもしょうがないですから。
過疎という言葉が変わったら何か変わるのでしょうか?
過疎という言葉はなくなりましたので過疎はありません!
とか言うつもりだったら最高に面白いのですが(笑)
地方が生き残る為に、地方は地方で新たな社会を作るしかないと思うのです。
なぜ都会のような発展を目指さなければいけないのでしょう?
別に、発展しなくてもいいんだけど・・
世界で一番貧しい大統領と呼ばれたホセ・ムヒカ大統領はこう言ってます。
人はモノを買うときは、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ
必要ないものを買う為に働く時間はもったいないと思いませんか?
いい服を着たい!高価なブランド物が欲しい!
その為にはお金が必要です。なので時間を浪費して、稼がなければなりません。
時間を消費して、お金も消費して、満足感を得る為に購入します。
でも、いい服が着たい!高価なブランド物が欲しい!
その言葉の前に「あの人よりも」や「あの人みたいに」という言葉はつきませんか?
人の価値に合わせて生きる事ほど虚しい事はないと思うのですが。
貧しい人とは、少ししか持っていない人のことではなく、際限なく欲しがる人、いくらあっても満足しない人のことだ
田舎は都会から見れば、可哀そうかと思われるかもしれませんが、
都会を田舎から見ると、可哀そうと思うのです。
都会も田舎もそれぞれいいところ、悪いところがあり
それぞれの価値が違うのですから、同じようにしようというのが
そもそも間違っているのだと思います。
20万円のスーツと1万円の作業着どちらかあげると言われたら
1万円の作業着を迷いなく選びます。
モノの価値は場所によって違うのですから。
結局何が言いたいかというと
過疎という言葉がどうなろうと知ったこっちゃありませんが
せめてセンスの良い名前だけを期待しています。