第18回耶馬の里「伝統芸能競演会」

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約3年ぶりにコアやまくにシアターで耶馬の里「伝統芸能競演会」が開催されます。

伝統芸能競演会とは

伝統芸能競演会とは、色んな神楽社が集まり、伝統芸能を披露する大会です。なんと今回で18回目となります。一昨年と去年は開催出来ていなかったのですが、今年2020年は開催されます。

神楽の歴史

神社祭礼などで見受けられ、まれに寺院でも行われる。平安中期に様式が完成したとされ、約90首の神楽歌が存在する[1]。神楽は、神社に「神楽殿」がある場合、そこで行われる事が多い。

一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされる。古事記日本書紀岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされる。アメノウズメの子孫とされる猿女君が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられる。

神楽は、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)に分けられる。また幾つかの神社では、近代に作られた神楽も行われている。

神楽を知っているというか、見たことがある人は、鬼が暴れるやつという認識だと思います。僕も自分が神楽を舞う立場になるまでは、鬼が出てきて暴れるのが神楽だと思っていましたが、舞い手になり勉強すると、実はひとつひとつの演目には意味があって、それを知ると神楽を見るのが100倍面白くなります。

これを見れば神楽が100倍楽しくなる

実は神楽舞に出てくる人物は9割が神様です。古事記に出てくる人物が多く出てきます。この登場人物を知るともっと面白くなるのですが、さすがに古事記を読むのは辛すぎるという方は、この動画を是非見て頂きたいです。

中田敦彦のYouTube大学で古事記を紹介しています。

もの凄くわかりやすく、しかも面白い。神楽に興味がない人もこれを見れば神楽が見たくなるはずです。ていうか中田敦彦さんの話術、これはまじで半端ないですね。めちゃくちゃ面白いです。

伝統芸能出演者一覧

第18回耶馬の里「伝統芸能競演会」に出演してくれる神楽社を紹介します。

山国神楽社

大字小屋川字所小屋川集落に里神楽が作られてたのは1860年頃と言われ,保存されている神楽面の裏に文久の文字が刻まれている事で推祭できます。もともと出雲神楽の伝統に属し、時代と共に発展して豊前岩戸神楽の流れをくむ様をになったと思われます。1877年(明治10年)神職制度の改革により、神職の手で行われていた神楽が氏子中心の手で行われ、所小野神楽社中の結成となりました。 終戦後、人的資源、時代の変遷により後継者が減少しましたが平成に入り、槻木自治公民館の神楽クラブの発足や宇曽自治公民館の笛の伝統クラブも結成され、山国神楽社となりました。その後、女性神楽や子供神楽団員も入り、装束も新たに山国神楽社の誕生となりました。

植野神楽社

 豊前岩戸神楽発祥の社「植野神楽」は伊勢神楽を源流とした豊前岩戸神楽の宗流であり、この系統の神楽は宇佐 下毛 築上郡に多い、昭和四十一年に県指定重要無形文化財に指定されています。元亀 元年(1570年)の頃 植野土佐命(うえのとさのかみ)藤原外記(ふじわらげき)が民衆化したと言われ、明治以後、若簱神社 神職 秋満家に伝え継がれています。神楽社は湯立、神坂、毎回神楽にわかれ各三十三番の構成され、重複するものを合わせると”47番”の舞いがあります。なかでも湯立神楽は難しい修練と精神的緊張が必要で鎮火祭の”おき”の火を素足で渡る場面は圧巻と言えます。このように全神楽を伝承し、神楽舞方記載帳を保持し、豊前岩戸神楽の古い様式を残しているのは 他に類例が有りません 毎年12月31日、大晦日の夜22時頃(除夜の鐘が鳴るころ)舞い始め、新年の3時頃まで神楽の奉納をします。

戸原神楽社

昭和初期に創設され、明治神宮や中国での奉納や中国での公演などで、大いに隆盛を極めました。しかし近年舞手の高齢化が進んでいましたが、最近は今日の舞手の4人をはじめ、若手の加入もあり、活気づいています。
特徴は曲想の美しいお囃子が地域の方々から愛されていることです。まだまだ力不足の所もございますが、
年間30回以上の奉納を要請されるのも、地域の皆様に大切にしていただき、根づいているからと自負しております。

本耶馬神楽社

明治20年代大字東谷の大工、屋成太三吉が下後村の廃絶状態になっていた神楽社の面、衣装、笛、太鼓など一切を譲り受け、大工、左官、石工などの職人による神楽社を設立。中津市植野の宮司、秋満貢氏の指導を受け、今日までの伝承の基を築いた。昭和に入り、戦争、経済の高度成長などの影響から一時は、休止の状態に追い込まれたが、昭和49年、庄内町より神楽舞を招へいするなどして東屋形の一部の人も合併し本耶馬溪神楽の伝統を保存することになった。

深耶馬神楽社

地元に古くから伝わる深耶馬神楽は豊前岩戸神楽の系統であり、神楽の始まりは明治15年に平家の末裔である家篭地区の毎年4月10日金毘羅宮の祭りに来合わせた”佐知の佐助”こと佐知神楽の創始者である広沢松次郎が奉納し、後に佐助の同グループ中山角蔵を師匠として柿山村の有志が小柿山神楽社を結成、佐助神楽として138年の歴史を持ち、深耶馬神楽文化保存会に至ります。今は若い後継者も徐々に増え継承できる状態になりました。今後は、地域伝統芸能として継続存続のため興味のある方を募集しています。

特別出演 和jets

ラジオパーソナリティでもあるこのお2人に、演奏と司会をお願いしました。僕まだ見たことがないので、どんな演奏なのか楽しみにしています。

第18回耶馬の里「伝統芸能競演会」お知らせ

第18回耶馬の里「伝統芸能競演会」

日時 2020年3月22日(日)

会場 コアやまくにシアター

料金 前売り 1,000円 (当日1,500円)

全席自由

皆様是非お越し下さいませ。

 

ちなみにこのチラシは私が作りました。
チラシ作成をお願いしたいという方は是非こちらからお問合せ下さい(^^)/

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