草本金山は昔江戸時代頃から金を掘っていたと言われています。
洞窟には男も女も入って一緒に働いていており、また中には遠方から出稼ぎのために来ている人もかなり多かったそうです。
その中には罪人も使用されていたそうです。一緒に働いていた罪人が更に罪を犯す者もいました。
最も罪の深いものは獄門に合い、近くの河原で無残な処刑にされたりしておりました。そしてそのような罪人たちは、死後誰も供養などしてくれるものはおりませんでした。
だから罪悪を犯した悪人の魂は霊界に行っても成仏ができませんでした。草本には教順寺という古いお寺があります。
ある夜の夢に教順寺の院代である宮野哲州師に「橋の下の河原に行ってみるがよい」と仏様のお告げがありました。
次の朝、早速宮野院代はお告げに従ってその場所に行ってみました。
何と、少し大きな石がお釈迦様のお姿に似てるように見えました。さらによく見るとその周りの小石が、人間の顔によく似てるではありませんか。
驚いた宮野哲州師は罪人たちの魂が成仏できず、この川原の石ころに霊がこもったのではないかと思いました。そして「どうか御供養をしてください」と頼んでいるようであろうと思い、人の顔に似た石ころをたくさん拾って帰りました。
哲州師は、お寺の一角に祭壇を作り、毎日お経をあげて供養をされました 。
この地域では、この橋を渡るとき悪魔がたくさんここに住み着いて恐ろしいから、悪魔に取り憑かれないようにお念仏を唱えて渡らなければ、ここは通れないという意味で、「魔林狭」「念仏橋」と呼ばれているそうです。